セカイ系
セカイ系
「セカイ系」は、現在、主に「フィクション作品の類の類型の1種を指す」言葉として使われる(「セカイ系作品」)。しかし、この用法には有力な疑問も提起されている。
言葉の発生時には「エヴァっぽい作品」(主にアニメ)を指し、「若干の揶揄を込めて」用いられたバズワードだったとのこと。
一般的な定義
一般的には、次のような定義がよく知られている。
ただし、以下の一般的定義を作品類型の定義として用いることには、有力な疑問が提起されている(後述)。
- 若い男子の主人公(ボク)と、美少女(キミ)との関係が物語を通して描かれる。
- 主人公を中心にした身辺的な狭い日常関係が描かれる。
- 同時に、「世界の終わり」「人類の命運」といった抽象的で大きな題材も扱われる。にも関わらず、「狭い日常」と「抽象的な題材」の間は、「一切の媒介項なく直結される」。
なお、「セカイ系」の語がネットで流布した前後に、セカイ系作品の典型として、アニメ『ほしのこえ』、マンガ『最終兵器彼女』、小説『イリヤの空、UFOの夏』などが、典型例として挙げられるようになった。
現在でも、この3作を「(本来の)セカイ系の典型作例」とする見解も、一般的定義に伴って、かなり広く流布している。
一般的定義への疑問と対応
一般的に言われる定義については、複数の論者から、ほとんど同じ趣旨の疑問が提起されている。
それは、典型作例とされる3作を比較するだけでも、定義とされる3項の条件が綺麗に揃っている作品例がない、という指摘だ。つまり、作品類型の定義としては成り立っていない。
疑問への対応
上記の疑問に対しては、以下のような対応が唱えられている。
(以下は引用ではなく、論旨の要点要約)
- セカイ系作品では、「狭い日常」と「抽象的な題材」の間は、「作中の社会的文脈が繋がっていない」形で描写される。(限界小説研究会、『社会はない セカイ系文化論』)
- セカイ系作品では、小状況と大状況の間の社会関係は、例えば、厳格な1人称描写などで方法的に消去されていく。(笠井潔、「夢想と成熟」『人間の消失・小説の変貌』所収)
この対応の場合、「セカイ系」は、具体的作例から抽出される作品類型の定義ではなく、一連のムーブメントが指向する、あるいは前提する理念型の定義、という形になる。 - セカイ系作品で、作中欠如している「中間項」は、実は、社会(の描写)ではなく設定(の描写)だ。それはセカイ系作品が、主人公の自意識を巡る問題系を主題的に描く作品群だからだ(前島賢、『セカイ系とは何か』)
変遷
「セカイ系」という言葉は、発生時には「エヴァっぽい作品」(主にアニメ)を指し、「若干の揶揄を込めて」ネット上で用いられたバズワードだったとのこと。2002年頃、用いられはじめた、とされる。
この段階で「エヴァっぽさ」として第一に挙げられていたのは「主人公の一人語りがウザい」といった感想だったようだ。
その頃、『新世紀エヴァンゲリオン』(本放送1995年)の影響が窺われる、おたく向け諸作品(ポスト・エヴァ)の評価を巡って、かなりの議論がネット上で交わされていた。「セカイ系」も、こうした背景から生まれた言葉だったが、議論に多用され一人歩き。前後して、後に一般的に知られるようになる定義が、概ね形成され、ネットでの論議は、一旦沈静化。2003年頃には、すでに、ネットでは「セカイ系はもう古い」というコメントも観られるようになったらしい。
こうした過程で「主人公の一人語りのウザさ」は、一旦「セカイ系作品」でも副次的要素とみなされるようになった。
(ただし、2002年に『クビキリサイクル』でデビューした西尾維新や、2004年に「tale」で商業小説デビューした奈須きのこの小説が「セカイ系」と呼ばれることは多いが、彼らの作品については、しばしば「語り手キャラクターの過剰とも思える一人語り」も言われる)
ネットの論議で、現在も流布している定義らしきものは概ね定まった。ただし、言葉の用法は一定せず、ある作品に「セカイ系」「非セカイ系」「セカイ系の乗り越え」など、矛盾した評価が下される例は少なくない。この点も、一般的定義が、実は定義の要をないしていない、と疑問視される傍証になっている。
一般的定義が概ね定まる過程では、キミ・ボク関係が、「無力なボク」と「戦闘美少女であるキミ」の関係である、という要素も論議されたが、こちらの要素は必須でもない、という形で副次的とみなされるようになった。
さらに後、セカイ系的な作品が、アニメやライトノベル以外の文芸でも発表されるようになり、紙媒体などにも渡って論議が再燃。
紙媒体での「セカイ系」の使用は、速い例では、2002年に刊行された『本格ミステリ・クロニクル300』採録の評論に用例がある、とされる。紙媒体での用例が目立つようになったのは、2004年頃かららしい。特に、2004年に発行された雑誌「ユリイカ」の9月臨時増刊(総特集:西尾維新)では、複数の論者が、セカイ系の語を用いた評論を発表した。
ちなみに「セカイ系」を巡る言説の推移を『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』で検証整理した前島堅は、2002年頃の「セカイ系」の語の発生以前に、テクストアドベンチャー系美少女ゲームの分野での、セカイ系的作品のブームを指摘している。この整理は、アニメ分野でのポスト・エヴァ的作品と活字分野での「セカイ系」の語の多用との間をつなぐ整理として、妥当と思われる。
現在では、ライトノベルや、アニメではセカイ系作品のブームは沈静化。サブトレンドとしてセカイ系作品も作られている、とされる。セカイ系的な新作の評価には論議もある。相変わらず、ある作品に「セカイ系」「非セカイ系」「セカイ系の乗り越え」など、矛盾した評価が下される例は少なくない。
(例えば、葛西伸哉の『世界が終わる場所へ君をつれていく』、有川浩の『塩の街』など)
ライトノベル以外の文芸や、ライトノベルと一般文芸のボーダー領域(例えばミステリ小説の分野、特に「メフィスト」系)で、セカイ系作品の影響を覗われる作例も観られるようになり(例えば西尾維新、奈須きのこ、桜庭一樹、舞城王太郎らの作例)、これらの評価にも論議はある。こちらの論議でも、セカイ系の理解がバラついている例は観られる。
また、消費動向の指標としてセカイ系の概念を用いる社会評論もある。この系統の用法では、概念(用語)の抽象度があがり、さらに他の論題の社会評論にも転用される例も見られるようになっている。
メモ
- 「エヴァンゲリオンの影響下の作品群」をとりたてて「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」などと呼ぶことがあった。
- この「症候群」という呼び方は、「岡田斗司夫が、NHKの番組で、エヴェンゲリオンのファンを揶揄して使ったのがルーツ」とする説がある。少なくとも、岡田が揶揄的なニュアンスで多用していたことは、著作からも跡付けることができる。
- 「セカイ系」を巡る初期の議論では『新世紀エヴァンゲリオン』を、セカイ系作品の典型とする意見が多かった(そもそも「エヴァっぽい」作品が「セカイ系」と呼ばれた)。が、その後セカイ系の定義が整理される過程で、「エヴァンゲリオン」をセカイ系の典型作例とする意見は、必ずしも多数派とも言えなくなったようだ。
- 「エヴァンゲリオン」の作中では「中間項の描写」は欠落しているのではなく、断片的な暗示で処理されているとの理解が可能ということになっている。
- 「戦闘美少女と銃後のボク」の要素が目立つが、必須条件ではない。
- 「戦闘美少女と銃後のボク」の要素が、必須ではない、とされるに到ったのは、先行作品を意識した作品がセカイ系的な方向でも、セカイ系の乗り越え的な方向でも、発表されるようになった変遷に応じてのことと思われる。
- その後「セカイ系」の用法は多様化し拡散しているが、セカイ系作品群について「否定的な用法」と、「肯定的な用法」とに大別することはできるだろう。
- 否定的な用法は、「主人公が、自分本位の御都合主義で、卑怯な責任放棄」、「主人公が母性的承認に埋没することで自らの選択すらも自覚せずに思考停止」など。
- 肯定的な用法は、「『世界をコントロールしようという意志』と『成長という観念への拒絶の意志』からなる作品」、「社会領域を欠いて自閉した印象のキャラクターによる、『人間の終焉』(フーコー)以降の状況を反映したフィクション」など。
- 「セカイ系」は、定義や分類では実はなく、ムーブメントの呼称なのだろう(チャットログhttp://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write-ex2/2010/05/20100527.html#090000)
セカイ系の作品(?)
何かを「セカイ系」の作品と論じるにあたっては、実は言葉の用法を併記しなければ、意味をなさないと思われる。
『新世紀エヴァンゲリオン』
- 当初、セカイ系のルーツと目されていた作品。
- 主人公の一人語りはウザイかもしれない。しかし、この演出の是非評価は、視聴者の観点に応じて種々であり得る。
典型作とされる3作
- 戦争状況が主人公の日常生活圏を侵食(影響を及ぼす)描写は、隔たっていない点がセカイ系的でもない。
- 大状況推移の真相が、説明的に描写されないところは、セカイ系的。
- 主人公の身辺状況と戦うヒロインの大状況が遠く隔たっているところは、セカイ系的。
- ラストで主人公が、「念願の艦隊勤務」に就くところは、セカイ系的でもない。
- 作中のエイリアン、タルシアンとの交戦が「人類の命運」に関わるかどうかすら不明。宇宙開発の利権戦争と観る方が普通。
- ヒロインの命と世界の命運を天秤にかけてしまうようなところはセカイ系的。
- 意識的としか思えない1人称形式を用い、大状況の真相が直接には大観叙述されない点はセカイ系的。
- 社会人である大人は多数登場し、例えば父親などを通じて、主人公の身辺から広がるも社会状況も描いている点は、セカイ系的でもない。
その他
- 「世界の敵」だとか謎の組織が出てくる割に、やってることはご近所バトルっぽい点はセカイ系的。
- ブギーポップが人格の内から浮上すると、一般人キャラが超人化するという設定で、陰謀戦の全貌が大観的には説明描写されない点が、セカイ系的。
- 田口ランディ『コンセント』
- 西尾維新『きみとぼくの壊れた世界』『戯言シリーズ』他
- 『きみとぼくの壊れた世界』『戯言シリーズ』に限らず、西尾維新の作風はセカイ系的。過剰と思える語りの連続が、自意識を巡る問題の在りようを行間で描写している。
- 「世界の終わり」を十数人で模索する点はセカイ系的。
- セカイ系だとも、セカイ系ではないとも、セカイ系の乗り越えだとも色々言われている。
- 死神界の設定があまり描かれていないところはセカイ系的。
- 国際警察の描写が大雑把で、各国政府と各国警察の関係描写が欠落してるところはセカイ系的。
- 主人公の一人語りはやや多いが、セカイ系的といえるほどかどうかは疑問。
- 主人公が内向的ではない点はセカイ系的ではない。
- 主人公が自意識過剰な点はセカイ系的。
- 主人公がセカイを変えようと行動する点はセカイ系的ではない。
- ところが作品のラストで、主人公は野望を達成せずに死ぬ。これはセカイ系的な無力なボクとどう違うのか?
- 主人公はセカイ系ではなく決断主義なのだ、という意見もある。が、だとしたら決断主義の不可能を描いた作品だろう。
- サンライズ『コードギアス 反逆のルルーシュ』(及び、第2期シリーズ「R2」
- セカイ系だとも、セカイ系ではないとも、セカイ系の乗り越えだとも色々言われている。
- 現実とは異なる歴史の設定は断片的にしか描かれていない。この点はセカイ系的だともセカイ系的ではないとも色々言われている。
- ブリタニアの社会はそれなりに描写されている。しかし国際社会の描写は大雑把。この点はセカイ系的だともセカイ系的ではないとも色々言われている。
- アカーシアの剣の設定は、ほとんど描かれていない。この点はセカイ系的。
- 主人公の一人語りは多く、かなりセカイ系的。
- 主人公が内向的ではない点はセカイ系的とも言えない。この点については、主人公の本意は内向的で、外交的な面は演技にすぎない、と言う解釈もある。
- 主人公が自意識過剰な点はセカイ系的。
- 主人公がセカイを変えようと行動する点はセカイ系的ではない。
- ところが作品(R2)のラストで、主人公は自ら汚名を被って死ぬ。これはセカイ系的な無力なボクとどう違うのか?
- 主人公はセカイ系的ではなく決断主義なのだ、という意見もある。が、だとしたら決断主義の不可能を描いた作品だろう。
- 風采のあがらない中年男、片桐のおっさんが「かえるくん」に東京を破滅から救うことを強制される点。片桐のおっさんが「かえるくん」は正しいと認め、かつ「かえるくん」は敵に勝利しうると信じられるかどうかという意識上の問題が、東京の破滅を未然に防ぎえるかという意識外の問題を左右する点。片桐のおっさんは戦わず、傍観者である点がセカイ系的。
- 『かえるくん、東京を救う』の片桐は、単なる傍観者ではない。作中、かえるくんは「片桐さんはぼくの闘いをちゃんと助けてくれました」と語っている。
作中の描写からは、片桐が、かえるくんの闘いを目撃し、声援を送ることが、かえるくんにとっては重要だったように思われる。もんだいは、この「かえるくんの闘い」を片桐自体は記憶していない点で、そこに注目すれば、セカイ系の定義次第で『かえるくん、東京を救う』をセカイ系作品とみなすことも不可能ではないだろう。
- 『かえるくん、東京を救う』の片桐は、単なる傍観者ではない。作中、かえるくんは「片桐さんはぼくの闘いをちゃんと助けてくれました」と語っている。
- 主人公がおっさんである点はセカイ系的ではない。
- 美少女キャラが出てこない点はセカイ系的ではない。
- 『かえるくん、東京を救う』は、寓意的な作品と言われているし、幻想小説だとも言われている。そんなタイプの小説に「社会的な中間項の描写が欠落」していても不思議ではない。あえて「セカイ系」的かどうかを検討する必要性が、よくわからない。
関連書籍
資料
- 山口直彦「セカイ系と日常系」
(『ライトノベル研究序説』青弓社、所収)
話題まとめ
チャットログ
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2003/04/20030411.html#140000
- 最近よく目にする「セカイ系」ってなんだろう。調べれば調べるほどわからなくなっていく 。
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2005/03/20050319.html#200000
- コラム: なぜ人はセカイ系になるのか感想。一番と普通しかないというのは、かけるんの言動をみているようだ。「セカイ系」という言葉が作品ではなく人に対して使われている。
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2005/08/20050804.html#230000
- 『終わりのクロニクル 5 上・下』の感想は「佐山くん、やっぱりすごいや。口先が」でした。セカイ系とよばれるものはたいてい、煮えたセリフの応酬なので、より煮えたセリフが言えるキャラである佐山は、フィジカルな強さ以上にメンタルな強さが大きい。
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2005/08/20050825.html#090000
- 「どのへんがセカイ系か」ってのは難しい。個人の問題の部分と世界の問題の部分を紹介すればいいのではなかろうか。
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2009/12/20091218.html#180000
- 村上春樹作品を「セカイ系」として論じられている例があるんだろうか
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2010/05/20100526.html#200000
- 『セカイ系とは何か』と『社会は存在しない』について。
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write-ex2/2010/05/20100527.html#090000
- 「セカイ系」は、定義や分類では実はなく、ムーブメントの呼称なのだろう
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2010/07/20100718.html#100000
- 「セカイ系の次はなんだろうかと思っていて考えていたのだが」
- http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2010/07/20100719.html#180000
- 「セカイ系って言葉は、自分の気に入らないものを『ハイハイセカイ系、セカイ系』って形で馬鹿にするために作った単語じゃないか」
blog記事
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